2016年01月02日

【ガチ謝罪】『アイドルマスター』10周年を石原D(ディレ1)と振り返る。これまでのライブイベントの深いところに迫る【今さら感】


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『アイドルマスター』10周年を石原D(ディレ1)と振り返る。これまでのライブイベントの深いところに迫る

●東京ゲームショウ2010(会場:幕張メッセ)

 いわゆる、ファンの間でいう“9・18事件”ですね。……10周年の節目ですから、少し正直な気持ちを話しておこうと思います。いろいろな思いのすれ違いにより、プロデューサーさんの気持ちを「もやっ」とさせたことは自覚しています。そのことは、本当にお詫び申し上げたいと思います。

 制作する側のスタンスについても、あらためて難しさを感じましたし、反省もしました。ただ、誤解はしてほしくないんですが、当時の騒ぎの中心となった設定(竜宮小町・ジュピター)に関しては当時も今も心底納得しています。

 アニメ企画も同時に走り始めていたので、グループ内での竜宮小町というライバル関係や、プロデューサーのライバルにもなりえるジュピターの存在は、物語を大きく動かしていくために、あの当時の『アイマス』には必要だった存在です。

 でも、自分の言葉の中に「本音・本心」に近い言葉が混じっていないので、説明する言葉に強い「説得力がない」「誠実さがない」と自分でも感じていました。正直に言うと、僕自身もアーケード版を企画し、自分で産み育ててきたアイドルを「完全なプレイアブル」にできないこと、TGSの時点ではまだ納得しきれていませんでした

 そのことで上に抵抗もしました。でも時間の制約、予算の制約はどんなものにでもつきまとうものです。いろいろなスタッフが、制約の中でできる限りのことをしようともしました。愛でカバーしようと最後まで努力はしていました。ただ、結果としては、プロデューサーさんに誠実でいることができませんでした

 ……急激に規模が大きくなっていっ『アイマス』は、ここでいろいろな思惑がぶつかりあってしまったんだと、思います。この時の出来事は「制作サイド」と「応援するファンサイド」の関係性についても、いろいろと考えるきっかけともなりました。

 制作側に「期待」をして、突きつけられた現実が「期待」に応えられていない! と感じるファンサイドの人たちは、応援をすることから離れます。でも、別の一部の人たちにとっては、突きつけられた現実が「期待」に応えてくれていることもあります。

 制作側はこういう時、最初に誰に向かって言葉を投げかけるべきか? ……それはやはり、応援してくれる人であるべきだと思うんです。ここで制作が一部のファンサイドと反論をはじめたりするのは、本来向き合うべき人のことを無視していることにつながる。でも、それを繰り返してイエスマンだけが残るコンテンツは、結局、小さくなっていくだけだとも思うんです。

 コンテンツは制作サイドとファンサイドが、お互いに緊張感を持って作り上げていくべきだと、今は思っています。制作サイドはファンサイドの希望を一方的に聞くだけではいけない。ファン全員の意見を全てとりいれても、結局は収拾がつきません

 しかし、ファンサイドも制作サイドの言葉を一方的に受け入れる必要はない。最近は、WEBを通じて制作サイドにも声が伝わりやすい環境にあります。愛のある叱咤は、時には制作スタンスを見直すきっかけにもなります。

 ここで誤解されそうですが、やはり愛は重要なんです。叩くことは愛にはつながりません。「こうしてほしい!」という気持ちが愛だと思います。

 制作サイドは常に緊張感を持ってファンを「単なる数字」として見ないようにして、時には批判も覚悟で方向性を指し示す。応援するファンサイドも、制作サイドは神ではなく「間違いも起こす人間」なのだから、ある程度は愛をもってゆるす

 永遠に続くものはないと思いますけど、そんな関係性が続けば、コンテンツはどんどん形を変えながらでも、長く長く続くんじゃないかな…という考えています。

 実際、多くの制作サイドの人間も、別のコンテンツのファンでもあるし、ファンサイドの人も何かを作り出す人でもある。表裏一体の関係なんだという認識をもって、皆が愛をぶつけあえれば……本当に最高ですね。
千駄木和弘
posted by Kawakita at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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